東京地方裁判所 平成9年(ワ)1400号 判決 1998年9月28日
東京都足立区竹の塚五丁目九番七号
原告
嶋尾靜子
右訴訟代理人弁護士
小坂嘉幸
同
河野弘矩
東京都新宿区神楽坂六丁目三〇番地
被告
日本教育音楽協会
右代表者会長
真篠将
右訴訟代理人弁護士
西山宏
東京都渋谷区上原三丁目六番一二号
被告
社団法人日本音楽著作権協会
右代表者理事
加戸守行
右訴訟代理人弁護士
新井旦幸
同
小口隆夫
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告日本教育音楽協会(以下「被告教育音楽協会」という。)は、原告に対し、金二八〇〇万円及びこれに対する平成九年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告と被告らとの間において、別紙歌詞目録記載の童謡「チューリップ」及び「コヒノボリ」の歌詞(以下「本件歌詞」という。)について原告が著作権を有することを確認する。
第二 事案の概要
本件は、原告が、本件歌詞について著作権を有するにもかかわらず、被告教育音楽協会は、何らの権原も有しないまま被告社団法人日本音楽著作権協会(以下「被告著作権協会」という。)から本件歌詞の使用料を受領していると主張して、被告らに対して右著作権の確認、被告教育音楽協会に対して右受領使用料についての不当利得返還等を、それぞれ請求した事案である。
一 争いのない事実等(証拠を掲記した事実以外は、当事者間に争いがない。)
1 近藤宮子(以下「近藤」という。)は、本件歌詞を作詞して、本件歌詞に係る著作権を取得したが、平成五年ころ、右著作権を被告教育音楽協会に譲渡した。
ところで、近藤は、昭和五八年一一月二二日、小出浩平と被告著作権協会を被告として、本件歌詞に係る著作権を原告が有することの確認を求める訴えを東京地方裁判所に提起した。平成元年八月一六日に言い渡された判決では、近藤は、本件歌詞を著作して、著作者人格権を有するが、著作権については被告教育音楽協会に譲渡したものと認定判断された。近藤は、東京高等裁判所に控訴したが、平成五年三月一六日に言い渡された判決も同様の判断がされ、右判決は確定した(以下「前訴判決」といい、事件を「前訴」という。)。
2 被告教育音楽協会の代表者会長の真篠将(以下「真篠」という。)は、平成六年二月四日、同人が会長を務める「二十一世紀の会」が主催する小学生の音楽会の会場で、近藤宛の「確認書」と題する書面(以下「本件確認書」という。)を作成した。
本件確認書には、「幼稚園唱歌『チューリップ』『コヒノボリ』の著作権(版権)を昭和五八年一月一日をもって、日本教育音楽協会から、右曲の作詞者である近藤宮子氏にもどしたことにいたします。」と記載されている(甲一、原告本人、被告代表者本人)。
3 近藤は、平成六年三月一二日、原告に対し、<1>本件歌詞の著作権と、<2>被告教育音楽協会が被告著作権協会から昭和五八年一月一日から平成六年三月一二日までに受領した本件歌詞に関する著作権使用料について近藤が被告教育音楽協会に対して有する返還請求権とを共に譲渡した(甲二)。
二 争点
1 真篠は、被告教育音楽協会を代表して、近藤に対し、本件歌詞に係る著作権の譲渡及び使用料の返還の意思表示をしたか。
(原告の主張)
被告教育音楽協会の代表者の真篠は、平成六年二月四日、近藤の代理人である原告との間で、前記のとおりの内容の近藤宛の本件確認書を作成したものであるから、これによって、被告教育音楽協会は、近藤に対し、本件歌詞に係る著作権を譲渡し、また、昭和五八年一月一日以降に被告著作権協会から受領した本件歌詞についての著作権使用料の返還を約したものである(以下、原告主張の右合意を「本件合意」ともいう。)。
真篠は、被告教育音楽協会の会長であり、本件確認書は、平成五年五月一五日開催された同被告理事会で承認された上で作成されたものであるから、本件確認書は、有効な権限に基いて作成されたものである。
(被告著作権協会の認否)
知らない。
(被告教育音楽協会の認否)
本件確認書は、後記2のとおりの原告らの執拗な要求や恐怖感に屈して、真篠が作成したものにすぎない。真篠は、本件歌詞に係る著作権の譲渡及び使用料の返還の意思表示はしていない。同人には、被告教育音楽協会の決定に反して、本件確認書に記載したような内容の意思表示をする権限はない。したがって、原告主張の本件合意は成立していない。
2 被告教育音楽協会のした譲渡の意思表示は強迫によるものとして取り消されたか。
(被告教育音楽協会の主張)
本件確認書を作成したことにより、譲渡の意思表示をしたとしても、右意思表示は、以下のとおり、原告らの強迫によるものである。同被告の代表者真篠は、近藤に対し、平成六年二月二二日、本件譲渡の意思表示を取り消す旨の意思表示をした。
(一) 平成五年四月二四日午後八時ころ、加藤弁護士と原告は、真篠の自宅を訪れた。また、同年五月上旬には、真篠に宛てて、加藤弁護士名義の「報告書」と題する書面が郵送された。その後、同月二〇日、加藤弁護士と原告は、真篠の自宅を訪れた。そして、原告らは、真篠に対し、本件歌詞についての著作権使用料を近藤が受領できるよう求めた。
そこで、同被告の会長である真篠は、同年六月の同被告の理事会の席で、前訴で小出側の訴訟代理人であった西山弁護士に説明を求めたところ、西山弁護士からは、本件歌詞の著作者人格権は近藤にあるが、近藤に過去に遡って著作権使用料を渡せというのは、前訴判決の範囲を超えている旨の回答を受けた。
同被告から委任を受けた西山弁護士は、同月二四日、加藤弁護士と面談し、同弁護士に対し、著作権が近藤に帰属することを前提とする使用料請求には応じられない旨口頭で回答した。
(二) 右面談後、原告は、同被告及びその関係者に対し、以下のような行動を繰り返した。なお、近藤本人からの要求は一切ない。
(1) 原告は、同年七月一五日、真篠に対し、自分が同被告の会長となり、同月二二日、二三日の両日に同被告が開催する夏季講習会を自分が実行する旨伝えたりした。
(2) 原告は、同月二二日、右講習会の会場の目白学園に出向き、講習会受講者に対して、「コヒノボリ」、「チューリップ」の著作権は同被告にはないという趣旨の発言をしようとした。
(3) 原告は、八月一一日、牛込郵便局に対し、同被告が、その事務所を置いていた株式会社音楽之友社から原告の自宅に移転した旨の転居届を提出した。このため、しばらく、同被告宛の郵便物が原告方に転送された。
(4) 原告は、同月四日、同被告が主催し、府中の森芸術劇場で開催されたNHK全国学校音楽コンクール予選会場で、審査員である同被告理事土手多喜子に詰め寄ったりした。このため、NHKから同被告に対し、今後同様の事態が生じれば、公正な審査ができず、コンクール全体を流会とせざるを得ないので、同被告理事は全員、同コンクール、同予選の審査員を辞退されたいとの申入れがあり、同被告理事は全員同年度の審査員を辞退した。
(5) 原告は、同年秋ころ、同被告常務理事の自宅の近所の家のポストに、同理事を名指しで誹謗する内容の原告の署名押印のある文書を投函した。
(6) 原告は、同年一〇月には相模原市立鶴園小学校で、同年一一月には山形市立鈴川小学校で、それぞれ開催された音楽教育推進事業団「二十一世紀の会」(真篠が会長を務める。)の音楽研究発表会場に、それぞれ赴き、同会及び真篠個人を誹謗するチラシを撒いたりした。
(三) 原告及び瀬川克弘(近藤の代理人と称した、以下「瀬川」という。)は、平成六年二月四日、「二十一世紀の会」の音楽研究発表会が開催されていた、埼玉県越谷市立花田小学校に赴いた。二人は、会場を移動する真篠について回り、たまりかねた真篠が、会場内の一室を提供してもらって面談に入るや、「いずれ刑務所行きになるぞ。」などと脅し、前年四月二四日以来繰り返してきた「チューリップ」、「コヒノボリ」の著作権の返還を改めて要求し、執拗に文書の作成を迫った。
これに対し、真篠は、当日の会が終了していないこと、前年来、自分を始めとする被告教育音楽協会理事などに加えられてきた様々な嫌がらせが今後も続くのかという思い、対面している男への恐怖感等から、二人が求めるままに、本件確認書を作成した。
したがって、真篠がした譲渡の意思表示は、原告及び瀬川の強迫によるものである。
なお、真篠の報告によって右事態を知った同被告は、そのような意思表示をする権限は会長にはない旨を、近藤に対して通知した。また、右著作権を管理する被告著作権協会に対しても、同旨を報告した。
(原告の認否)
真篠のした譲渡の意思表示は、原告らの強迫によったものではない。
原告と瀬川が当該会場を訪れ、真篠に対し、「コヒノボリ」、「チューリップ」に係る著作権の返還と文書の作成を求め、本件確認書が作成された経緯は、以下のとおりである。
原告は、会場に出向く二日前、真篠に電話を掛け、「約束して頂いたことを守ってもらいたい。著作権協会会員の瀬川と一緒に行きます。午後になりますが、よろしくお願いします。」と連絡をした上、会場に当日午後二時に出かけた。原告が瀬川を同行したのは、同人が原告宅近くに居住しており、被告著作権協会の会員で作詞家でもあって、著作権に詳しく、「コヒノボリ」、「チューリップ」の作詞に関心を持ち、近藤に同情して協力してくれたためである。瀬川は、近藤から委任状の交付を受け、当日真篠と会談する直前に委任状を示して交渉している。
原告らは、会場を訪れたところ、真篠から「講習が終わるまで待って下さい。」と言われ、学校職員から指示された教室で講習終了まで待機していたもので、原告らは講習中真篠をつけ回していない。原告らが教室で二時間以上待った午後四時過ぎ、講習を終了した真篠が教室に戻ったので、瀬川が、「かって被告教育音楽協会は、近藤が被告著作権協会に『コヒノボリ』、『チューリップ』の作詞につき著作権の信託申込みをしようとした際に妨害したではないか。判決により近藤が作詞者と確定したのだから、著作権を近藤に戻してあげるのが妥当ではないか。」と要求すると、真篠は、「僕もそう思います。近藤さんによろしく。」と述べ、自ら罫紙に本件確認書を作成し、署名拇印して、原告らに交付した。
この会談は、三〇分程度であり、終始穏やかな雰囲気であり、真篠から近藤の近況が訪ねられたり、原告らから真篠の父の話が出たり、世間話まで出たほどで、瀬川が真篠を脅迫したことは全くない。また、原告らは、真篠に本件確認書の文面をどのように書くか指示したこともなく、真篠が自らその場で文面を作成した。
第三 争点に対する判断
一 争点1について判断する。
1 争いのない事実、甲一、乙一ないし九(枝番の表示は省略)、乙一一、原告本人、被告代表者本人及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
(一) 前訴が提起されてから、平成五年六月までの経緯は、以下のとおりである。
(1) 近藤は、昭和五八年一一月二二日、小出浩平と被告著作権協会を相手として、本件歌詞に係る著作権を原告が有することの確認等を求める訴えを東京地方裁判所に提起した。第一審及び控訴審裁判所の判決は、いずれも、近藤は、本件歌詞を著作したので、著作者人格権を有するが、他方、著作権の帰属については、本件歌詞は、近藤が被告教育音楽協会の公募に応じて著作したこと、同被告から金員を受領したこと等から、近藤から同被告に譲渡されたものと認定、判断した。右控訴審判決は、平成五年三月一六日に言い渡され、確定した。
(2) 原告は、右各訴訟において、近藤を支援していた。原告は、本件歌詞の著作者が近藤であることから、著作権について、同被告から近藤に戻すべきであると考えて、同年四月八日及び同九日、同被告の会長である真篠(当時七八歳)に対し、電話で、そのような趣旨を伝えた。真篠は、原告とは面識もなく、原告の要求の趣旨を理解することができなかったので、明確な応答はしなかった。
(3) 原告は、同月二四日午後、前記訴訟における近藤の訴訟代理人であった加藤文也弁護士とともに、真篠の自宅を訪問し、前記高裁判決の趣旨を説明した上、本件歌詞に係る著作権につき、同被告から近藤への譲渡を要請した。真篠は、このときも、明確な回答は行わなかった。
加藤弁護士は、同年五月上旬、真篠に宛てて、前記控訴審判決の趣旨、同被告の責任及び同被告に対する要請等の内容を簡潔に記載した書面を郵送した。右書面には、概要、「今回の判決で『チューリップ』『コヒノボリ』の作詞者については真実の作詞者が近藤宮子氏と確定したのでありますから、少なくとも一九八三年(昭和五八年)以降は近藤宮子氏が著作権使用料を受け取れるようにすることが筋であります・・・」などの記載がある。
(4) 同被告は、同年六月、理事会において、前訴において小出の訴訟代理人であった西山弁護士の参考意見を聞いた上、対応を検討した結果、前記の要求については拒否することとした。そこで、西山弁護士が、同被告を代理して、加藤弁護士に対し、著作権が近藤に帰属することを前提とする使用料等の請求には応じられない旨口頭で回答した。
(5) 原告は、本件歌詞に係る著作権の返還について、加藤弁護士を介することなく、直接、同被告と交渉等を進めることにした。そして、同月二五日、原告は、真篠に対し、電話で、加藤弁護士に代わり原告が全面的に近藤から交渉を委任された、被告教育音楽協会の理事会に出席させてほしい、被告教育音楽協会をつぶす、などという内容を告げた。
(二) 平成五年七月から一一月ころまでの、原告の同被告に対してした行動の経緯は、以下のとおりである。
(1) 原告は、七月八日午後八時五〇分ころ、真篠の自宅を訪ね、屋外で、一時間ほどにわたり、大声で、同被告を非難すると共に、真篠に対して、会長を辞任するよう求めるなどし、さらに、本件歌詞に係る著作権使用料を近藤から奪うことを止め、その旨を記載した書面に署名するように要求した。さらに、原告は、同月一一日午後八時ころ、真篠の自宅を訪ね、屋外で、近藤の子が書いたと称する「確約書」と題する書面と近藤の委任状を示した上、大声で、真篠を非難したり、会長を辞任するよう求めるなどした。その際、真篠は、確約書の内容を確認しなかったものの、前訴判決に沿った内容であれば、理事会の承認を得てから、署名してもよい旨を回答した。なお、原告は、翌一二日午前一時一五分ころ及び二時一〇分ころ、真篠に対し、電話で、確約書を書くように強く求めた。
(2) 原告は、同月一五日ころ、同被告の真篠を含む全理事に対し、自分が同被告の会長となり、同月二二日及び二三日に、同被告が開催する夏季講習会を自分が実行する旨の手紙を送付した。
(3) 原告は、同月二二日、右講習会の会場である目白学園に赴き、講習会受講者に対して、本件歌詞に係る著作権は同被告に帰属していないという趣旨の発言をしようとした。同被告の渡辺久遠(以下「渡辺」という。)理事長が、混乱を避けるため、講習会場から離れた場所で原告と話し合った。原告は、真篠が確約書に署名することを約束したので、渡辺において、理事会の承認について協力してほしい旨要請したのに対し、渡辺は、会長がよいと言ったのであれば、理事会としては反対しない旨回答した。
真篠は、原告が渡辺に説明した内容と、真篠が回答した内容とが大きく相違するため、同月末ころ、原告に対して、原告が求めるような書面への署名を拒否する旨の手紙を出した。
(4) 原告は、八月二日午後九時三〇分ころ、真篠の自宅を訪ね、大声で、渡辺が約束した確認書に署名するよう求め、真篠がこれを拒絶すると、同被告を非難したり、翌日渡辺を同道して話し合うつもりであると伝えた。
(5) 原告は、同月四日、同被告が主催し、府中の森芸術劇場で開催されたNHK全国学校音楽コンクール予選会場に赴き、渡辺理事長に、前記同様の要求をした。渡辺は、このため、審査に参加できなかった。
(6) 原告は、翌五日、右予選会場に赴き、審査員である同被告理事土手多喜子に詰め寄ったりした。このため、NHKから同被告に対し、今後同様の事態が生じれば、公正な審査ができず、コンクール全体を流会とせざるを得ないので、同被告理事は全員、同コンクール、同予選の審査員を辞退されたいとの申入れがあり、被告理事の全員が、やむなく、同年度の審査員を辞退した。
(7) 原告は、同月一一日、同被告に無断で、同被告が、その事務所を置いていた訴外株式会社音楽之友社から原告の自宅に移転した旨の転居届を郵便局に提出した。このため、しばらく、同被告宛の郵便物が原告方に転送され、事務に混乱を来したことがあった。
(8) 原告は、一〇月一五日、真篠が会長を務める音楽教育推進事業団「二十一世紀の会」が主催し、相模原市立鶴園小学校で開催された音楽研究発表会の会場に赴き、真篠に交渉を迫ったため、警察へ一一〇番通報がされる事態となった。さらに、原告は、同月二九日、山形市立鈴川小学校で開催された音楽研究発表会の会場に赴き、右会及び真篠を非難するビラを撒いた。右ビラには、右会は楽器の販売を目的としたものであり、音楽教育とは一切関係がない、右会の会長真篠は、偽造楽譜を裁判所に提出し、法を欺こうとした幼稚、破廉恥な類を見ない事件を起こした人物であり、現在も法を悪用無視し、悪いことをやり得とばかり続行中である、などと記載されている。
(三) 平成六年二月四日、真篠が、本件確認書を作成した経緯は、以下のとおりである。
(1) 平成六年一月三一日午後一一時ころ、真篠は、瀬川と名乗る男から、電話を受けた。男は、前訴判決では、被告らが負けたこと、被告の行為は、刑事事件に発展する性質のものであること、その責任は真篠が負わなければならないこと等を告げたり、確認書を作成するよう求めたり、真篠を強く非難したり、「バカヤロー、ロクデナシ、ドロボー」と罵倒したりした。
(2) 同年二月四日、埼玉県越谷市立花田小学校で、前記「二十一世紀の会」の音楽研究発表会が開催された。右発表会は、教師及び生徒が各数百人参加している大規模な会で、午後一時半ころに始まり、最初に個別の教室で学年別の授業参観があり、その後、講堂で全体集会が開かれた。原告は、瀬川克弘を伴い、右会場に赴き、真篠が、授業参観のため、廊下を通って教室を移動する度に、同人に付いて回った。真篠は、再び騒ぎになることを恐れて、右小学校側に会場内の一室を提供してもらい、二人に右発表会が終了するまでそこで待機するよう求めた。
(3) 原告、瀬川及び真篠は、午後四時ころ、全体集会が終わった後に、話し合いを持った。原告は、近藤からの委任状を真篠に示し、瀬川は名刺を真篠に交付した。原告と瀬川は、面談の過程で、真篠に対し、「刑事事件に絡んでいずれ刑務所行きになるぞ。」などと述べたりした。原告及び瀬川は、真篠に対し、あらかじめ準備していた「確認書」と題する書面を示し、右書面に記載されたとおりの文章を転写し、署名するように要求した。真篠は、前記一連の原告の行動に困惑していたこと、及び、同年一月三一日に、瀬川と名乗る男性から、電話で、確認書を作成するよう強要されたり、非難、罵倒されたこと等から、恐怖心を抱くに至った。そして、真篠は、原告らの要求するまま、示された文案どおり筆記することとし、表題を「確認書」、本文を「幼稚園唱歌『チューリップ』『コヒノボリ』の著作権(版権)を昭和五八年一月一日をもって、日本教育音楽協会から、右曲の作詞者である近藤宮子氏にもどしたことにいたします。」、日付を「一九九四年二月四日」と記載した上、署名し、拇印を押捺した。
(4) なお、その後、真篠は、右経過を同被告に報告し、同被告は、理事会を開いた。そして、西山弁護士が同被告を代理して、同月二二日ころ、本件確認書では、『チューリップ』、『コヒノボリ』の著作権を『もどす』という表現がとられており、仮に、これが右両唱歌の歌詞に係る著作権を近藤に対し譲渡するという趣旨であるならば、そのような意思表示をする権限は会長にはない旨を、近藤に対して通知し、さらに、被告著作権協会に対しても同様の趣旨を連絡した。
これに対し、同年三月一六日ころ、瀬川は、真篠に対し、通告書と題する書面を送付したが、右書面には、「謝意正し明確にしなさい 正しき事がまがってたまるか 名誉毀損法的手段他手続を取る バカモノめ」などと記載されている。また、右書面の写しに更に瀬川が加筆した書面が、瀬川から西山弁護士に対して届いた。右加筆部分は、「このような通告書は委任状を持参した代理人にまず出すべきだ 弁護士が道理がわからないのか きおつけろ もすこしましな文書を出せ バカヤロ」などと記載されていた。
2 以上の事実を踏まえて検討する。<1>原告は、前訴判決を受けて、その要求を開始したものであるところ、前訴判決は、本件歌詞に係る著作権については、同被告に帰属していると認定判断したにもかかわらず、原告の要求は、近藤に著作権があることを前提としているようにも解され、原告の右要求の根拠が、必ずしも、一般人にとって容易に理解できるものとはいえないこと、したがって、同被告としては、本件歌詞に係る著作権を、近藤に譲渡しなければならない理由を理解し得なかった。<2>本件確認書の内容についてみると、平成六年二月四日付けで作成されているが、「幼稚園唱歌『チューリップ』『コヒノボリ』の著作権(版権)を昭和五八年一月一日をもって、日本教青音楽協会から、右曲の作詞者である近藤宮子氏にもどしたことにいたします。」とされており、本件確認書作成時から一〇年以上も遡って著作権を「もどしたことにいたします」という趣旨が明らかでなく、これを著作権等を譲渡する意思を表現したものであると解するには、極めて不自然な文言である。<3>真篠は、理事会の議を経由することなく、本件歌詞に係る著作権を同被告から近藤に譲渡する権限を有してないと考えていた。<4>原告は、前年から、多数にわたって、真篠に対し、執拗な要求を続け、第三者も巻き込んで、同被告の活動、真篠の平穏な生活に、少なからず混乱を生じさせ、そのため、真篠は、困惑し、憔悴していたこと、また、平成六年二月四日、原告は、真篠が会長を務める「二十一世紀の会」が主催し、多数の関係者が集合した研究発表会の会場に赴き、真篠に執拗につきまとった上、真篠にとって面識のない瀬川まで同席させて、刑事事件になるなどの発言を繰り返した上、本件確認書を作成するように、強く求めたこと等の経緯に照らすならば、真篠は、本件確認書を作成する際、冷静に思考し判断することができない状況であったと考えられる。
確かに、真篠は、前記のとおりの文面を転写、筆記して、書面を作成したが、上記の<1>ないし<4>の諸事情を総合するならば、右書面が作成されたという事実を前提にしても、なお、真篠が同被告を代表して、本件歌詞に係る著作権を近藤に譲渡し、さらに、昭和五八年一月一日以降に受領した右著作権使用料を返還する旨の確定的な意思表示をしたものと認めることは到底できず、他に、これを認めるに足りる証拠はない。
二 したがって、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本件請求はいずれも理由がないから、これを棄却する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 八木貴美子 裁判官 沖中康人)
歌詞目録
一、チューリップ
サイタ サイタ
チューリップ ノ ハナ ガ、
ナランダ ナランダ
アカ シロ キイロ
ドノ ハナ ミテ モ
キレイ ダナ
二、コヒノボリ
ヤネ ヨリ タカイ コヒノボリ、
オホキイ マゴイ ハ オトウサン
チヒサイ ヒゴイ ハ コドモタチ
オモシロサウ ニ オヨイデル